読み易い背景色にしてご覧下さい。
昔の遊びについて(序文)
その住む地域、季節、動植物の生態、年齢、男女などによって遊び方は違ってきます。
遊ぶことには道具をつくりました。
小刀、のこぎり、ナタ、かまなど家にある道具はなんでも使いました。
私が住んでいたのは堤防に囲まれた水郷地帯です。
例えば
@今の時期ですと雨がよく降り魚が田んぼへ登ってくるので、捕まええるのに飛び回っていました。
タモを買うお金も無かったので作りました。
たぶん、網だけ買ってもらって、針金を曲げ竹に付けて。
今の時期水が多いので川が濁りうなぎがよく釣れ、釣ってきてたべました。
すいすいごんぼ(スカンポ)が伸び大きくなってきますので、
刀を振り回して切っていました。
刀は柳を切り、刃の部分を皮をむき、柄の部分は模様をつけていました。
子どもの遊びbP、独楽(こま)回し
独楽回しの遊びから。
1回目は独楽回しについて考えます。
少し長くなります。
子どもの遊びが人間を豊かにする!
子どもの頃、いろんな事をして遊んだ。其の遊びが大人になって大きな影響を与えている。
自覚する人もあれば自覚しない人もいるが、
私たちの年代の人にとって少なからず影響を与えているのではなかろうか。
小学生の頃にした独楽回しの遊びから何を会得したのだろうか。
駒は大きく分けて3種類、
@木に針金を挿した独楽、
A鋳物でできた独楽、
B鋼を旋盤で削った独楽があった。
@木に針金(硬い鋼)を挿した独楽は軽い。回転時間は短い。芯が振れていると安定して回らず。又、芯が曲がってしまったら、すぐに倒れる。
A鋳物で出来た独楽、桑名は鋳物(鋳鉄)の町だから、安くて良く回る独楽が作られ、多くの子どもが使った。
割り(上型と下型を合わせる)の鋳型に湯(銑鉄)を流し作るので、どうしてもバリが出来き、芯ぶれもある。
B鋼を旋盤で削った独楽、リング部と心棒の軸部、2つから出来ていている。
旋盤で削り、心棒の軸(おそらく鋼)を挿して作られてあり、芯ぶれは少なく精度は良いが値段が高い。
僕達の独楽回し遊びはこんな風である。
独楽にヒモを巻きつけ思い切り振り下ろし、更に引っ張り上げ、器に載せる。
器の上で回っている時間だけ走ることが出来、鬼から逃げたり、鬼になったら追いかけたりする。
要するによく回り、長い時間回っていることが遊びで勝ことの条件である。
其のほかにも、回した独楽をヒモに掛け、また、投げ上げ落ちてくる独楽をヒモですくいながら、何度でも回す曲芸もやっていた。
上手く独楽を回さない小さな子どもは何とか自分も回そうと、独楽にヒモを巻きつけ、
地面で回す。できる事ならコンクリートの上が良いことがわかってくる。
それが出来ると、大きな器・1斗缶の蓋それが出来るとミルク缶の蓋と上達していく。
上手くなると絵の具の蓋に乗せ回した。
僕達は上手に回そうと、独楽と器の工夫をした。
其の他、ヒモの材料、長さ、巻き方などで大きく変わる。
独楽の工夫は
Bの独楽は値段が高いのでなかなか買ってもらえず(高くてあまり売れなかったので作らなかったかも知れない)、
Aの独楽が多かった。勿論、@の独楽は回りが悪く、ほとんどの子どもは持っていなかった。
Aの独楽をどうするかというと、コンクリート橋(当時、普及されつつあった)に独楽の芯をこすり付け、芯ぶれしないように先端をとがらせる。
大きな子どもが、コンゴウ車(手で回すグラインダーのこと)で削ってきたと見せびらかし、他の子どもも真似をする。
芯棒の先端と、円周のバリ部分を削るのであるが、要するに先端の摩擦抵抗を小さくし、バリを削ることによってバランスを良くするのです。
その後、やっと、Bの独楽を買ってもらい嬉しくなる。
又、芯の先端削りをして優秀な独楽にするのです。
器の工夫は
器が1斗缶やミルク缶の蓋では長い時間回らない。
何故かといえば柔らかい金属との接触だから摩擦抵抗が大きい。
上手な子ども(上級生)が使っているオロナイン軟膏の蓋に目がいく。
母ちゃんに頼んで蓋をもらう。これは石油製品の出始めの頃で、
金属との潤滑性が良く、大きさもちょうど良い、
中央が低く中心に集まりやすい器だったのです。
僕達は独楽を大事に、宝物にしながら、遊んできたのです。
上級生はその模範で、いつも目を付け根だったり、見習ったり工夫をし、
子ども達が作ってきたルールにしたがって楽しく遊んだのです。
大きくなり、独楽遊びから自分が何を学んだか振り返ってみます。
回転物はバランスが良いこと、芯の振れは無いこと、一定の重量が有ること、
器である固定側(蓋)は硬く、潤滑性の良いことなどでした。
学校でいろんなことを学ぶわけですが、先に遊びから経験をして、
後にその理屈(理論)を学ぶのですからスッート頭に入り、応用も利くのです。
工業関係の学校では鋼と鋳物の違いを学びます。
製造方法はどうか、金属の持つ特性、それぞれの価格など。
また、潤滑性についても。独楽は軸受のような性質も持っています。
今、子どもが遊んでいるとその時間は無駄と考える親が多いのではなかろうか。
勉強、勉強と駆り立てる現代、大事なことを忘れている。
先ず勉強、すなわち理屈が先にきて頭に詰め込む。
私たちが子どもの頃に遊んだことが、人々の上下関係のあり方やルールを学んだことは勿論、
体得から知識を得ることにより、勉強と遊びがひとつになっていったのではないだろうか。
独楽に限ったことではない。
もう一度、このような遊びから人間として生きて行く喜びを復活させたいと思うのですが。
※独楽について詳しくは、名古屋の「日本独楽博物館のホームページ」をご覧下さい。
2006年05月記