読み易いにしてご覧下さい。

A B C D E

宝物を取り合う・メンコとカッチンの遊び そのE

あまりいい遊びでないのもあったが、ショウヤやカッチンで遊んだ。
賭け事になる遊びで子ども達の間でもバクチと呼んでいた。
女の子はしなかった。
ショウヤ、僕達はメンコをショウヤと呼んでいた。ショウヤは駄菓子屋で売っていた。
子どもに人気商品だった。ショウヤの表には映画スターの顔写真、まんがの
キャラクターが印刷されており、子ども達はそれぞれ珍しいのを集めていた。

今思えばマスコミを使って子どもの心を流行らせ、現代と同じかな。
チャンバラ映画や漫画、ラジオドラマでは子ども向けのものも多かった。
中でもラジオドラマ、赤堂鈴之助は「剣を取っては日本一の少年剣士。
親はいないが元気な笑顔・・」とテーマソングがラジオから流れてくる。
これが、ショウヤに印刷された。

さてショウヤの遊びは、まずそれぞれが1枚ずつショウヤを地面に置き(供託かな)、
ジャンケンで順番を決める。最初の子が自分のショウヤを手に持ち、相手のものを
目掛けて地面に叩きつける。相手のショウヤがひっくり返れば自分のものとなり、
再度、出来る。ひっくり返らなかった次の子に順番をゆずり、次々と代わってゆく。

この遊びも釘刺しと同じで腕がつかれる。疲れても「今日はヨーケ儲かった」と家に
帰り、菓子箱に貯めて行く。小さい子は取られることばかり、悔しい思いをしながら、
大きくなったらきっと勝つと心に秘めていた。

カッチン、ビー玉をカッチンと呼んでいた。
今と同じでガラスの丸い玉だが駄菓子屋で売っていて、同じく子どもに人気商品だった。

遊びはまず直線を地面に棒などで書く、更に直線から5m程先に30cm程の真四角の枠を
書く。その枠のなかにカッチン玉を1個づつ入れる(供託かな)。
ジャンケンをして順番を決め、最初の子から、順次、転がして四角に近づける。

2回目からは玉を手に持ち相手の玉に当てても、枠内の玉に当てても良く、
当たったら何回でも続けられる。玉に当てられたらその子の玉は死にゲームアウト、
つまり敵を倒す。
四角枠内の玉に当て自分の玉と枠内の玉が外に出たら自分のものになる。
自分の位置が枠から遠い時は枠に近づけて転がすことも良いが自分の番は次に譲る。
上手な子は遠くからでもカッチンと当て自分のカッチン玉を増やしてゆく。
学校から帰って、夕方暗くなるまで遊んでいました。

ショウヤもカッチン玉も子どもたちは宝物にしていた。
2つの遊びは宝物の取り合いであった。小さい子は沢山取られ泣いて家に帰り、
その親から叱られることもあったが、ほとんどの親は口出ししなかった。
強い子が力づくで宝物を奪うのではなく、子どもたちが作り上げたルールで
取り合ったのです。遊ぶルールは子ども達が作った憲法や法律でもあったのです。
この法律を作ることは人間が大人に成長してゆくための文化でもあったのです。

平成18年8月3日記 inserted by FC2 system