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子どもの遊びbQ、魚捕りから



魚捕りの遊びから。 2回目は魚捕りについて考えます。
魚は言うまでも食べる食料、一家の蛋白源でした。
だから、子どもが魚を捕ってきたら食卓に上がりました。勿論、親が捕って来ても同じ。
今のように一度釣った魚を元へ放す考えは無かったのです。
僕達は大きい子や大人を見て魚捕りをしたし、道具も家にあるものはなんでも使った。
僕の住む所は水郷と言われ、水による洪水に悩まされてきたが、一方で魚介類には恵まれたのです。
魚捕りは大きく分けて3つ

@網やタモ、わなで捕る、
A餌で釣る(疑似餌の考えはなかった)
Bヤスで衝いたり、射したり、素手でも採る。


@網やタモ、わなで捕る

タモで魚をすくって捕まえる、一番手軽なタモを作った。
網は買ってきたのか、家にあったものを使ったのかはっきりしない。
竹(細い男竹)を採ってきて切り、取り付け部に穴をあける。針金を切り、輪っぱにして、網を通し、竹に取り付ける。
最後に縛って出来上がり。
竹は冬場に採ったものでないとうまくいかない。
針金の太さ、柔らか、網のあらさや大きさなど知識豊富になっていく。
タモが出来たら、田んぼや水路に登ってくるフナや鯉を捕まえる。
何処までも無心に追いかけ、履いていた長靴の中に水が入ろうと、頭まで水びたしになろうが一生懸命。
捕ってきた魚は母が煮魚にした。
でも、僕は好きではなかったが、食べるものがなく食べた。
タモを使って川エビもよく捕まえた。
 子どもだから網をつくることは出来なかったが、色んな道具を作った。
家にある流し網(刺し網)を持ち出し、川に仕掛け、一方から竹で水面を叩き、ぼい込み、網にかかったのを捕まえる。
大人とすることが多かった。
 簡単な4つ手網でも捕らえた。難しかった投網もした。
ウゲ(細い竹で編んだ漁具)でも魚やエビ(川エビ)を採ったが、大人に付いていくことばかり。
子ども達だけでは他人が仕掛けたのを盗んできたのだった。
 エビ採りは夜、カーバイトランプを持ちタモで捕まえた。光に寄って来る習性を利用した。7月中のみ

A餌で釣る

 同じく竹を採ってきて竿に糸をつけ、針をむすんでつなぐ。
針だけ売っているのが多く、細いテグス(ナイロンの糸)を輪っかにして結ぶのは難しいことだが、根気にしていた。
テグスを絡ませることも多かったが、決してすてることはせず、最後まで解いて使った。
そのうちにリールが売られるようになり、リールだけ買ってきて竹に縛り投げ釣りもした。
釣れるのはフナ、鯉、うなぎ、なまず、ライギョ、ボラ、セイゴなど。
知らない魚がかかったので聞いて大人にみたら“コチ”。
雨が降らないので海水が上流へ登り海の魚も付いてきたという。
水をなめたら今までよりも塩辛かった。
 センボン、あるいはナガノを使って夏の夕方仕掛け、早朝、ウナギがかかっているか見に行くのだが楽しみだった。
 釣りの餌は殆どが生き餌で、ミミズやゴカイ(川で取っていた)だが、全て子ども達で見つけ調達した。

B衝いたり、射したりして採る。

僕達はヤス(もりとも言う)を作った。買ってきたヤスを竹に刺し、縛り取り付けて、道具が完成。
魚を見つけては突き刺し捕獲した。
ある時自転車のチューブをもらってきて、木で骨組みを作り水中銃を作って遊んでいたが、
水の抵抗が大きく魚を突き刺すまでには至らなかった。
魚捕りは大人とすることも多かったが、うなぎかきをした。
冬、うなぎは土の中へ潜るのを利用してうなぎを捕る。
竹の先に曲がって薄い鋼をつけ、水の底土の中を掻き、ウナギをひかけるのです。
狭いところに魚が逃げ込むと周りを土で囲ってかいぼる(水を外へかい出すこと)。
川の中の土手には魚が潜む穴が開いていて、手を突っ込んで素手でナマズやふなを捕まえた。
一番、簡単なしじみ採りもした。
小さな子どもでもよく採れ、採れた時には毎日朝からしじみの味噌汁を食べていた。

僕達の魚捕りは毎日の食事になった。大人と一緒に出かけ覚え、子どもたちだけでも習ってするようになっていく。
手とり足とり教えることも聞くこともなく、殆どが見て覚えてきたのです。
このように良き習慣が作られていたのです。
その時の漁法を思い出すと、次から次へと出てきます。この中に紹介できないことも一杯あります。
海津市の歴史資料館には沢山紹介されている。

魚捕りの多くは春〜夏〜秋であった。
ヤスで突き刺す魚法は泳ぎながら捕まえ、潜りも自然に覚えていった。
水郷と言われるだけあって、水による子どもの死亡事故も多かっただけに、
大人たちは危険なことは子どもに注意し、命に関わる時には真剣に怒った。
でも、道具を壊したり、家にあるものを使うことには口出ししなかった。
どこの家でも船(手漕ぎの和船)があったが、大きい子も小さい子も混じり、使っていた。
だから、竿、カイ、櫓となんでも小学生の時に使いこなし、魚捕りにも使っていた。

 魚とりが遊びであったし、食料調達であったが、僕達は自然の中で多くのことを学んでいる。

学校で魚の内臓の勉強をすれば知っていたし、更に習ったことを元に解剖して内臓など調べていた。
後に人間の体も勉強するのだが、魚とどう違うのか考えるようになっていた。
今でも、勉強と遊びには境がなくどちらも遊びだと思っている。
魚捕りの道具作りを通じても、多くのことを知った。
自然が僕達を裕福な人間に育て、命を大切にすることを教えている。
本物を見ず、学習ばかり、本当のことを知ることはできない。

2006年07月記

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