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思いつくままに書きました。

腹が減ってなんでも食べた・G

私が生まれた地域は田んぼ多いのですが、山はありません。
だから、秋になると柿、みかん、くりと話題になるのですが、私たちには少なかったのです。
我が家は男4人の子ども(でも歳はかなり離れています)と両親で暮らしていましたので
沢山ご飯を食べたとのこと。
母が死ぬ前に言っていたのは「夜の分まで朝に炊いたが、
食事の用意をしようとしたらオヒツ(ご飯を入れる蓋付き木の桶のようなもの)は空っぽ、
何度も炊いた」。

食べるものがなく、毎日、お腹がすくことばかり、ご飯に塩をふったり、
醤油をかけて食べたのも普通でした。
 前に魚や川エビを取って食べる話をしましたが、今度は果物を中心に話します。

食べ物が成る木で我が家にあったのはびわ、木いちご、いちじく、ゆすら梅ぐらい。
時期がくると少し青いうちに取り合いして食べていました。

家で栽培していたおやつでの食べ物はサツマイモ、サトイモ、落花生、サトウキビ、スイカ、瓜など。
サトウキビは根っこの方が甘く、包丁か押し切りで節のところを切り、皮を歯でむいて食べました。
サトイモは洗って皮がついたまま蒸します。そして、生姜しょうゆを付けてたべました。
昭和30年ころは菱の実(水中に根をはる藻になる実)を取って食べました。
菱は池にあり、船を漕いで近づき次々とバケツに採り、家で茹でてたべましたが、
おいしいものでしたが今はありません。

時々は近所のものも食べました。槇の木実、ぐみ、柿、桑の実、変わったところでは
土手に生えた甘い草の根、蓮の実、ニッキの根など食べれるものならなんでも。
 ニッキの根(大きな木)を取る時は小さい子に「ニッキ下さい、と頼んでこい」と言わせました。
小さい子だからと思って其の家の人は「いいよ」の返事をするのですが、5、6人が掘っているのを
みつけ、大目玉を受けたこともありました。

恥ずかしい話ですが、泥棒もしました。
大人の人がいない隙をみて柿をとろうとしましたが、見つかり「こらー」との声で逃げました。
蓮(レンコン)の実も食べました。
蓮の花が咲き、実を付けますが、どんぐりの形をした実を取り出し、半分に割り青い筋を捨て、
残りを食べました。蓮の実採りにいった時はズボンをまくり、蓮根田に入るのですが、
ぬかるみで動けず慌てて逃げました。

今では柿がいっぱい成っていても、そのまましておく家が多くあります。
他人の食べ物を盗るという悪いことをしていましたが、大人の人は見つかっても親に告げませんでした。
どこの子もお腹をすかし、直接本人に叱ることで「子どもは悪いことをしたと納得する」
としていたのでしょう。
子育てを地域ぐるみで自然にしていたのではないでしょうか。

(平成18年9月記) inserted by FC2 system