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子供のころのこと (六) ”村に電話がやってきた!”

@ 電話の掛け方・・


部落で最初に電話が引けたのは、2ヶ所でどちらも人家のある所から
少し離れているお寺さんと員弁農協市之原出張所(後に支所)であった。


昭和三〇年代の後半のことであった。
西小学校市之原分校に電話が引けたのは、
それからしばらく経ってからであったと思う。
そのころになるとさすがに、木の箱のタイプでなくて手回しの
黒いプラスティクッスの電話機であった。


電話を掛ける時は、先ず手回しのハンドルを四〜五回してから受話器を取って
交換手さんが出るまで、何度でも繰り返してハンドルを回していた。
交換手さんが出たらこちらの番号を告げて相手の所と番号を口頭で
交換手さんに告げるのである。

A 電話にも急行や特急があった・・

若い女性の交換手さんの声を聞くのも楽しみであった。
普通の接続料金で掛けると掛ける所や時間帯によっては三〇分から
長いときでは一時間以上待たなければ繋げてもらえなかったので、
先ず交換手さんに回線が込んでいるか?空いているか?
尋ねてから使い分けていた。
急いでいる時や、いつも詰んでいる所へ掛けるときは、急行や特急で掛けていた。


その分接続料金は高くなった。
料金区分は「普通」「急行」「特急」とあって、「特急」で頼むと
あちらこちらの地域で電話を掛ける順番を待っている人の先頭の方へ
追い越すのである。
「急行」や「特急」で掛ける人が多ければ「普通」で掛ける人はだんだんと
遅れてしまい、待ち時間が長くなるのである。

B 電話の番(宿直)が始まる・・

電話が引けた当初は、個人は農協まで電話をかけに行ったり、
電話がかかってくると農協職員が連絡したりしていた。
電話を使用することが多い時間帯は、やはり夜の方が掛ける方も
掛かって来る方もどちらも便利である。
農協が営業開店しているのは、昼間だけであるために夜間に
電話掛けたくても掛けられない!


夜に電話を掛けたい先方も、こちらの農協が閉店しているために電話を掛けられない。
折角電話が引けても、その利便性を充分に発揮出来ないでいた。
一番、電話を掛けたい、利用したい夜間に電話を掛けたり受けたりするには、
誰かが電話番をすれば解決する。
農協の職員が毎晩泊まることは出来ないので、地区民が交代で泊まることに
なったのである。
しかし農協には泊まる部屋が無いために、農協の建家から横にひさしを出して
四.五畳ほどの部屋を作った。費用はおそらく村が出したのではないかと思う。
そして村民二人が一組になって交代で宿直が始まった。
ふとんも備え付けではなくて、家からそれぞれが持ち込んでいた。
この頃はまだまだどこの家も自動車はなかったので、
自転車の小さい荷台に縛ってもふとんの嵩が大きくて上手に縛れなかった。
殆どの人はふとんを丸めて紐で括っておいねて(背負って)歩いて行っていた。
夏はふとんも少なく軽くて良いが、冬ふとんは綿花入れのものであり今のように
軽く出来ていないので雪降りや雨降りの日は結構大変であった。
電話が掛かってくると、帳面に記録を記載していた。
急ぎでない電話の時は、翌朝になって家に帰るときに、
掛かって来た家に寄って伝言、連絡していた。
急ぎの電話や本人に電話に出て欲しいときは、一人は部屋に残ってもう一人が
その家まで知らせに行っていた。
電話は誰に聞かれても良い内容の連絡ばかりではない。
まして急ぎの電話は、あまり目出度い電話は少なくて他人には
聞かれたくないような電話が多かった気がする。
小さい部屋の中に受話器があるため、聞きたくなくても聞こえてしまう。
その人が掛けておられる内容や言葉使いで、気まずくなるとそっと部屋の
外へ出たときもあった。

C 時には酒場に早変わり・・

酒の好きな人は、小さめの瓶に入れて持ち込んで寝酒にされていた。
また、その夜によってはお酒などを持って慰問?に訪れて来る人などもあり
自然と数人の人が集まって世間話など社交場になることもあった。
自分も何度か隣のおじさんと宿直したことがあるが、
自分は若かったので酒は飲めなかったが、おじさんは酒が好きだったので、
時々はちょっとした飲み屋さんのようになって賑やかであった。
自分は、いつも部屋の片隅でおとなしくして話を聞いていた。
翌朝は寝過ぎないように、交換手さんに寝る前に「○○時になったら起こしてね」
と頼んでいた。(ベルを鳴らしてもらう)

D 有線電話が敷設される・・

宿直をしていた期間は、そんなに長くはなかったと思うし、
その後農協が町内だけに繋がる有線電話を開始したが電電公社への接続は
当初は出来なかったので電話が掛かると有線で連絡をとっていた。
有線は、五〜六軒が一回線であり、それぞれの家には受話器とスピーカーの箱が
取り付けられていた。
呼び出しは交換手さんが「〇〇〇番さん!〇〇〇番さん!」と軽やかに
アクセントを付けて呼んでいた。 呼んでいる交換手さんの声を聞いて「昨日は○×さんやったし」「今日は○*さんやな」と
交換手さんの名前も直ぐに解った。
その後、有線電話から公社電話(NTT)へ繋がるようになり電話番もなくなった。
その後いつのまにか有線電話も無くなり一軒ごとの日本電信電話公社の
電話(NTT)へと変わっていった。
今は携帯電話の時代であり、当時を振り返ってみるとその当時の社会的な
背景があったとは言え、信じがたいようなことであるが
村人が交代で行っていた本当のことである。

平成一四年四月三日 記

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