宮 沢 賢 治

(原文) 「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラツテヰル

一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲジブンヲカンジヨウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクワヤソシヨウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハ

ナリタイ


宮沢賢治[1896-1933]37歳で死去。
詩人、童話作家。明治29年8月29日花巻川口町生まれ(現、花巻市豊沢町)。
岩手高等農林学校(現、岩手大学農学部)卒業後、花巻農業高等学校で教師を経て、
羅須地人協会(現花巻市桜町)を設立し、自耕生活をしながら創作活動・農業技術の講演などをする。
「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「風の又三郎」など多くの著書がある。

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